姑さんにムカついたりイライラするケースは、
昔も今も変わりませんが、
私は実母にイライラしていました。
これって私だけなんでしょうか?実の母親なのに、
こんな気持ちになって良いのかなと悩んでました。
でも実際自分が子供を持ってみて、
だんだん私の親の気持ちがわかるようになってきたのです。
私と母親の関係
私の母親はバリバリのナースで、
キャリアウーマンでした。
毎日朝から夜までたくさんの人の命を助けて、
自宅に帰ってきていました。
父は国の仕事をしていて、共働き。
その頃の父親としては頭が下がるくらい、
毎日の家事と育児を手伝っていました。
それでも母親はいつもピリピリしている性格で、
優しい言葉をかけられない人。
怒鳴られることもしばしばで、
私はいつも母親の顔色を伺う毎日でした。
私が産まれてすぐ母は、
母乳を薬で止めて仕事に復帰し、
私が赤ちゃんの頃は何年も
母の母(おばあちゃん)が面倒をみてくれました。
忘れもしない私が小学生1年生の頃、
いつも私は頭痛がしていたのですが、
イライラする母親にはいう事が出来ず、
学校に通っていました。
ある日、私の担任の先生が、
私の親に連絡をとったらしく、
その日に母が勤める病院に連れて行かれ
検査を受けさせられました。
その結果、私の腎臓が相当悪くて即入院。
私に頭痛がしていたのはそのせいで、
顔もすごくむくんでいたらしく、
担任の先生が心配して私の親に電話をして
病院に連れていくように伝えたそうです。
その後、父から聞いた話しですが、
私の担任の先生から両親は学校に呼び出され、
コンコンと説教を受けたらしいです。
なぜナースである母親が、
自分の子供の顔のむくみにさえ気づかなかったのか?
と注意されたそうです。
退院後も私は一生腎臓に気をつけた
減塩食を食べなければならなくなったのですが、
一時は腎臓移植も考えられていたので、
ラッキーだと言えます。
そして、その私の命の恩人の先生とは、
家族ぐるみのお付き合いになりました。
それからは母も私の体調に注意を払うようになりましたが、
性格が変わるわけではなく、いつもイライラが絶えませんでした。
私の父は母親の仕事のグチを毎日「うんうん」と
何時間も聞いてくれていて、
家事も手伝い週末には母がお昼寝できるようにと、
父が毎週私を遊びに連れ出してくれました。
今考えても母はこんなに優しくサポートしてくれる夫がいて、
ラッキーだったなと思います。
それでも時には私や父にヒステリックに怒鳴る事もあり、
私と父で手を繋いで「またママ仕事で嫌な事あったんだよ。」
と言いながら、散歩に出たものでした。
このような生活だったため、
私は母親には全く心を開けないまま大人になったのです。
私の産後
私が結婚した頃、母は仕事を辞めリタイヤしたし年もとったので、
随分柔らかな性格になり私とも普通の母娘のように、
一緒にショッピングや食事に行って楽しめるようになりました。
そして私が産婦人科で赤ちゃんを産んだ時も、
父と一緒に一番に来て支えてくれました。
その時実家に帰ってくるようにすすめられたのですが、
両親に迷惑かけるのが嫌で断りました。
そうすると母が
「私があなたの家にしばらく泊まって赤ちゃんの面倒みるから、
あなたは身体を休めなさい。」
と言われたので断れきれず、来てもらう事にしたのです。
ですがろくに子育てもしてこなかった母は、
3時間おきに赤ちゃんが泣くので母乳をやり、
ゲップを出させてしばらくしたら、
オムツを変えるの繰り返しをうるさく感じて、
「なんでまた泣いてんの?眠れないじゃない!」と私に当たる始末。
昼間は赤ちゃんのお世話をしてくれましたが、私は夫だけでなく、
母の食事も3度3度上げ膳据え膳で用意しなければならず、
かえってクタクタでした。
一度は私がハンバーグに細かく刻んだ人参を入れた事に腹をたて、
「私が人参嫌いだって知ってるでしょ!」と文句言われ、
ブチ切れそうでした。
でも小さい頃から母には口答えしないように育ってきたので、
母がいるしばらくの間はグッと我慢の毎日でした。
なので母が帰ってからは私のやりたいように、
子育てができたのでずっと気が楽になりました。
私の結婚生活は夫だけの収入でやっていたので、
毎月キューキュー!贅沢できるどころか、
節約しないと日頃の食事も大変なくらいでした。
そこで思ったのですが、
私が育った環境では全くお金に困った時はなかったなあという事。
何不自由なく育ててもらいました。
これも両親が共働きで毎日頑張って働いてくれたからなのだと、
気付いたのです。
いつも忙しくてイライラした母からは愛情は受けなかったけれども、
生活苦はなかったのですよね。
その後、私もパートに出だし毎日仕事と子育てをするようになって、
母の大変さが少しわかったような気がします。
でも母のおかげで私の子供には絶対声を荒げたりせず、
イライラする事なくスキンシップいっぱいで育てられました。
まとめ
あとで父に聞いた話しですが、
母は私が小さい時に愛情を注いであげられなかったから、
申し訳ない気持ちがいっぱいで、私が子供を産んだらその罪滅ぼしに、
自分の愛情を私の子供に思いっきり注ぎたいと言っていたそうです。
おかげで私たち夫婦では出来なくても、
娘は私の両親に色々な旅行やレジャーに連れて行ってもらって楽しんでいます。
なので「色々あったけどこれで良かったんだな」と今になって思えます。
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